高崎市上大島町のパキスタン出身の契約社員狩野・ナフィース・アハマドさん(45)が2011年12月29日に自宅で刺殺されているのが見つかった事件で、心臓貫通による失血が死因だったことが30日、県警の発表で分かった。アハマドさんがパキスタン男性との間で、金銭トラブルを抱えていたことも判明。捜査本部は恨みによる犯行とみて調べている。
捜査1課と高崎署によると、30日の司法解剖の結果、アハマドさんの胸や腹には複数の傷があり、心臓貫通が致命傷だった。鋭利な片刃の刃物で刺されたとみられる。
血痕は寝室に集中し、家に荒らされた形跡はなかった。県警は82人態勢の捜査本部を設置。
死亡推定時刻は29日早朝。アハマドさんは市内の金属部品加工会社で年内最後の仕事を終え、午前0時ごろ帰宅。遺体は同8時過ぎに1階寝室の布団の上で見つかった。現場の状況から捜査幹部は、寝入っていたアハマドさんが、侵入者に短時間のうちに襲われたとみている。
捜査本部は30日、司法解剖した結果、死因は心臓を刺されたことによる失血死と発表した。胸や腹などに刺し傷や切り傷が数か所あったが、争った跡はなく、捜査本部は、短時間での犯行とみている。死亡推定時刻は29日早朝。凶器は見つかっていない。
狩野さんは29日午前8時10分頃、1階寝室の布団の上で血を流して死亡しているのを、妻(51)が見つけた。勤務先の金属部品製造会社で同日午前0時までには仕事を終え、その後1人で帰宅したとみられる。家族3人は28日午後11時頃に2階で寝ており、帰宅には気付かなかったという。
捜査本部によると、狩野さんは百合子さんと専門学校生の長男(18)、高校1年の長女(16)の4人暮らし。百合子さんら3人は2階で寝ており、朝起こしに行って遺体を発見した。着衣に乱れはなく、3人とも争った音などは聞いていないという。
捜査1課と高崎署によると、29日午前8時10分ごろ、1階寝室の布団の上で仰向けで血まみれのアハマドさんを、妻百合子さん(51)がみつけ、110番通報した。署員が駆けつけたが、腹を中心に刃物による複数の傷があり、死亡していたという。
アハマドさんは29日午前0時ごろまで市内の金属部品加工会社で働き、車で帰宅。発見時は部屋着姿だった。
高崎市上大島町で29日、契約社員狩野(かのう)ナフィース・アハマドさん(45)が殺害されているのが見つかった事件は、新築して9月から住み始めたばかりの家で起きた。狩野さんが帰宅した28日深夜以降、妻と子供2人が2階で寝ている間に殺害されたとみられ、高崎署捜査本部は、外部から入ってきた者による犯行の可能性が高いとみて、交友関係にトラブルがなかったどうかなどを調べている。
捜査本部によると、狩野さんは発見時、1階寝室で、室内着姿で血を流して倒れていた。腹部などに刃物でつけられたとみられる複数の傷痕があったが、室内に争った形跡はないとしている。
近くに住む住民は「午前5時半頃、『ドン』という玄関ドアが閉まるような大きな音を聞いた」と証言する。また、
現場周辺は田園地帯で、戸建て住宅が点在する。
捜査本部によると、狩野さんは29日朝、自宅1階寝室で発見された。あおむけの状態で倒れ足元に布団がかかっていた。腹などに複数の刺し傷があり、血痕は寝室に集中していたが室内に争った形跡はなかった。自宅ドアの鍵や窓が壊された跡もなかったという。狩野さんは勤務先の同市内の金属部品会社から28日午後11時ごろから29日午前0時に退社し帰宅したとみられる。
高崎殺害現場から血液反応100m…逃走経路か
群馬県高崎市の自宅で契約社員狩野(かのう)ナフィース・アハマドさん(45)が刺殺された事件で、狩野さん方の玄関から、約100メートル先まで血液反応が検出されていたことが31日、捜査関係者への取材で分かった。
室内から家族以外の土足の足跡が見つかったことも判明。高崎署捜査本部は、外部から侵入した犯人の逃走経路とみて調べを進めている。
捜査関係者によると、血液反応は、狩野さんの玄関先や庭先、近くの県道につながる道路のほか、少なくとも自宅から直線距離で約100メートル南方の神社付近まで検出されたという。
血液が狩野さんのものか、犯人のものかは判明していないが、犯人は狩野さん方に土足で侵入した後、狩野さんを殺害し、神社付近まで自らの足で逃走したとみられる。狩野さんの妻(51)は28日の就寝時に玄関の鍵を閉めたが、29日午前8時10分頃の遺体発見時には鍵は掛かっていなかったという。
狩野さんは9月に現在の自宅に引っ越してきたが、普段は1階で1人で寝ていた。さらに、金品を奪われた形跡がなく、短時間での犯行とみられることから、捜査本部は、狩野さんの家庭の事情に詳しい者の犯行の可能性もあるとみて調べている。
狩野さんはどんな人?
伊勢崎市で中古車販売業を営むパキスタン人男性(46)らによると、狩野さんは20年以上前に来日後、少なくとも13年前から新潟県内で中古車販売業を営んでいた。群馬や新潟、山形などでオークションに参加して中古車を落札しては、「ヤード」と呼ばれる自動車解体作業場に運び込み、ロシアなどに輸出していた。
近年は世界的不況と円高に見舞われた上、ロシアが関税を大幅に引き上げたため輸出しにくくなり、同業者が苦戦する中、狩野さんは、キルギスなど中央アジア各国に軸足を移し、利益を得ていたという。高崎市に住みながら、最近も新潟県内のヤードに通っていたとみられ、10日ほど前にも現地を訪れる姿が目撃されている。
伊勢崎市内の同業者のパキスタン人男性(35)は「仕事ぶりはものすごく真面目だった。お金持ちだと思っていたので、会社に勤めていたと知って不思議に思った」と話している。
複数の知人の話では、アハマドさんは1988年ごろ来日。中古車販売業を最近までしており、新潟や山形など各地を回っていた。アハマドさんが販売した車の代金支払いをめぐり、群馬県内に住むパキスタン男性とトラブルになっていたという。こうした情報は捜査本部も把握し、関係者から慎重に話を聞いている。
一方、アハマドさんが通っていた伊勢崎市喜多町のモスクでは30日、金曜日の集団礼拝があり、多くのイスラム教徒が突然の死を悲しんだ。
太田市のパキスタン人男性(43)は「同じころに来日し、良く知っていた。パキスタンではアハマドさんの親族が『いつ遺体が帰ってくるのか』と泣いているようだ」。みどり市のナディーム・アフタルさん(35)は「いい人だった彼が、天国に行けるよう祈った」と話した。
狩野さんはパキスタン出身で、1992年に妻(51)と結婚。2009年に日本国籍を取得した。地域住民などによると、今年9月に現在の自宅に移り住んだ。周囲には自動車関連の仕事をしていると説明していたという。
百合子さん、専門学校生の長男(18)、高校1年の長女(16)の家族3人は2階で寝ており、帰宅や物音には気づかなかったと話しているという。
夫妻は1992年に結婚し、アハマドさんは09年に日本国籍を取得した。知人らによると、一家は高崎市上豊岡町に長らく住んでいたが、9月から新築した家で暮らしていたという。アハマドさんは背が高く、がっちりした体格だった。
アハマドさんは東部の商業都市シアルコート出身で、イスラム教徒だった。伊勢崎市内のモスクで金曜日に開かれる礼拝に、月1回程度は家族らと参加していた。契約社員の仕事を最近始めるまでは、中古車販売に携わっていたという。
モスクのイスラム教指導者男性(49)は、新築祝いのパーティーで9月に自宅を訪ねたといい、「アハマドさんは『先生、新しい家ですよ』と喜んでいた。すごく悲しい。信じられない」と絶句した。
近所に住む女性(37)は「普段、昼間から軽自動車やトラックが2、3台止まっていて、外国人風の数人が中に出入りしているのをよく見た」と話す。
約2週間前に狩野さんを自宅に招いたという知人のパキスタン人男性(43)は「優しくて、トラブルを抱えるような人じゃなかった」と驚いた様子で語った。10年以上の付き合いがあるという別のパキスタン人男性(49)は、祭りの時に子どもたちと仲むつまじく手をつないで歩いていたのを覚えており、「死んだなんて信じられない。すごくショック」と残念そうに話した。
16歳の娘、18歳の息子のどちらと手をつないで歩いていたのか知りたいです。それとも他にも妻子がいたのでしょうか?それとも10年前の話でしょうか。
狩野さんと同じパキスタン出身の藤岡市内の知人男性によると、狩野さんは20年以上前から日本在住。中古車販売業を営んでいた際には、新潟県から主にロシア向けに中古車を輸出する事業を手掛けていた。事件現場の自宅には秋に引っ越したばかりだったという。
現場はJR高崎駅の北西約10キロの閑静な田園地帯。近所に住む男性(67)によると、狩野さん一家は9月末ごろに引っ越してきたという。「狩野さんは身長180センチくらいの大柄な人だった。日本語も上手で、愛想のいい人だった」と振り返る。
一方で、70代の女性は「奥さんを見かけることはあったが、狩野さんや子供たちはほとんど見かけなかった。近所づきあいは少なかった」と話す。
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